ロックダウン直後を思い出す
ロックダウン直後、いやそれから1、2週間後だったか、そのころに起きていた自分の中の心境の変化を記録しておく。
ロックダウン直後、いやそれから1、2週間後だったか、そのころに起きていた自分の中の心境の変化を記録しておく。
しかし、このコロナの騒ぎで社会から隔離され、仕事もスローダウンする中で、今まで気がつかなかったことに気がつかされるなんて事もある。
ふと思い立って、日記でもつけてみようかと。 今は世界中が新型コロナウィルスで大変なことになっている。 これは歴史に残る大事件になるだろう。 そんなタイミングで感染が大爆発したNYにいるという この状況で、できる限り何かを書いてみたほうがいいかもしれないと。 これは特に人に見せる用の日記ではない。 でも見られてもいい。それくらいの感じ。
こないだは娘の友達のブロックパーティに遊びに。ブロックパーティと聞くと、ヒップホップが生まれた現場!みたいなイメージだったけど、ちょっと違う。もっと「ふつー」な感じだ。というか、そこに住んでいる人たちによって特色が出るので、本当にエリアによって違うものになり得る
中学生の時、学校の校則が「男子は五分刈り以下」つまり全員坊主だった。今時こんな学校は存在しないと信じたいが、80年代の埼玉にはまだそんな軍隊のような学校があったのだ。
そこで僕は髪を切らないことにしていた。
小学生だった僕は、母親が何か本当はやりたいことがあったけど、諦めて専業主婦になってるんじゃないかという、漠然とした感覚を抱いていた。子供心に、歌が好きな母は、テレビに出てるような歌手になりたかったんじゃないかと、勝手に妄想もしていた。それは事実ではなかったかもしれないし、現実はそんなにシンプルではないのは子供の時の自分には分かってなかったわけだが、例えばテレビに登場し始めていた、女性の文化人(その当時は田嶋陽子が活躍してた)を、嬉しそうに見ていた母親からも、そういった雰囲気を感じていた。
今日は朝からミーティングがあったので、Green Pointと呼ばれるエリアの北のはずれに向かう。 どうやったら行けるのかと調べたらなんと、先月東京のWAITINGROOMの個展で出していた「Cat and Mouse」という作品の映像を古いmini DVテープからデータに変換してもらった会社と同じビルディングの住所だった。
Whitney MuseumのWarhol展が今週末までだったので、慌てて行ってきた。
今exonemoはWhitneyのウェブサイト上でプロジェクトをやっているので、開発中は展示の宣伝美術を見続けていた。なので現地で大きく展開されているグラフィックに、変な親近感を覚えた。
ここ数日、推敲しつつ書いていた文章、このままだと出さずに終わりそうなので、サクッとブログをセットアップしたので載せておこう。自分の中でぼんやりと考えていたことの一部が言葉にできているんじゃないかと思う。
なんとなく、最近はソーシャルメディアとの距離を感じている。 その原因はよくわからないけど、Twitter的な140文字と、3000文字の連載の原稿の中間のようなものを持ちたいなぁと言う気分があった。
そういえばこの間、初めて学会誌への論文というのを書いた。それは2万字くらいあったな。
それはそれで、自分の考えをしっかりと解説できて面白かったのだけど、 もうちょっと気楽でもいいなと感じた。
そういうメディアを持ちたいなと。
最近流行りのnoteとかもあるけど、外部サービスがどれくらい続くのかに対する、疑念も正直ある。
まぁ、そんなにこういうのが長続きしたことがないので、先のことを心配する意味ないけど。
とりあえず、ここにノートブックを一冊用意して、
思いついた時に思いついたことをメモがわりに残していこうかなと思う。