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しかし、このコロナの騒ぎで社会から隔離され、仕事もスローダウンする中で、今まで気がつかなかったことに気がつかされるなんて事もある。

3.11の震災の時にも似たような状況があったと思うけど、あの時は人に会う事の制限が無かったから、また違う。 ロックダウンから1ヶ月、ビデオチャット以外で家族以外の人と会う事がほとんどない。(時々、道端でバッタリなんてこともかあるにはあるが、6フィート以上離れた状態で挨拶する程度)

他人からの距離を6フィート以上とれというソーシャルディスタンシングが推奨されている。つまり、パーティや混雑した場所に行くことも、開催することもできない。

そんな状態で気がついたことは、自分にとって、これくらいの人との距離感でも問題ないという事だ。もちろん、家族がいるので成立するのだけど、こと自分に関しては、家族との会話があれば、他の人たちとはあんまり直接会わなくても特に苦がないと言うことに気がつかされた。

とは言っても、まったく人とのコミュニケーションが必要ないかと言ったらそんな事はなく、人との距離を取りながら、作品を作る事でコミュニケーションが取れればそれで良いという感覚がある。対象は不特定多数になるが、作品などを出すことで、自分が人類の文化に参加でき、人に何かしらの影響を与える。そういう意味では、自分が作る何かしらの作品を通じて人と繋がりたいという願いはあるし、そこを信仰しているんだなぁと改めて客観的に気づかされる。

自分にとっては家族が楽しそうにしているのを眺めながら、他者との距離を適度に保つことは、精神的な健康に良いくらいな感じすらある。他者と離れていることで、自分の中の感覚が研ぎ澄まされる感じもある。つまり”シャバい”感覚が鳴りを潜めて、もっと自分の深いところにある価値に向き合おうという感覚だ。それって作品を作ることに良いのもあるし、自分の人生を生きるという意味でも大切なことなんじゃないか?

何が自分にとって必要で、何がそんなに必要じゃないのかを、意識できれば、 逆にこの騒動が収束して、元の生活に近い状態に戻ったときに、自分に取って重要じゃないものを割り切ってやることもできるだろうな。つまりあまり労力をかけずに割り切ってできるってことだ。それはそれでいいかもしれない。

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