ロックダウン直後を思い出す

ロックダウン直後、いやそれから1、2週間後だったか、そのころに起きていた自分の中の心境の変化を記録しておく。

ロックダウンが始まったのが3月の16日からの週だったと思うが、正直最初はコロナ自体を舐めていたというか、ただの風邪くらいに思っていたが、その最初の週の中盤に友人の弟が急死した知らせを受けて急に意識は変わった。同じ頃に友人が発熱してて、その症状もどうやらコロナらしい(そしてその友人はのちに家族全員が発熱)という情報も入ってきて、ロックダウンの衝撃と同時にかなりリアルな危機感としてコロナが襲ってきた。

そういうわけで、最初の1、2週間は気分もさらに体調もすぐれず、なるべく疲れないように横になったり、アルコールも取らず、体調を整えるように気をつけながら生活をしていた。

そんな中、だいぶ前に作って時々遊んでいたMax/MSPのパッチでランダムにドラムマシンを叩くやつを起動して遊ぶようになっていた。そのソフトは自分的にはとても気に入ってるとはいえ、他人に聞かせて面白がってもらえるかどうかの自信はなくて、どうにか発展させたいと思いつつ寝かせているモノなのだが、それがそのタイミングで、自分の気分にぴったりと合った。

例えば雨が降っている時に、ぼんやりとその音を聴き続けているかのように、ランダムに降り注ぐドラムの音をセラピーのように聞いていた。それまでの自分だったら、何か人に伝わりやすいようにするにはどうすれば良いかと考えてしまうようなところを、これはこういうセラピーなのだと妙な割り切り感が生まれた。

いつも何かを作ったり、表現する時に、どうしても他人の目線が気になったり、それをプロジェクト化して成功させないといけない、みたいな目線が入ってきてしまうのだけど、その時は全くそういうものがなく、本当の自分と対峙しているような、清々しい感じがあった。

5月になってだいぶ時間がたった今となっては、その時のその感覚が少し薄らいで、また社会性みたいなものが立ち上がってきている感じがする。でも、パンデミックがハードヒットしてロックダウンし、とにかく家にいること以外は重要ではない、という状況に置かれた時に、社会から切り離されてたどり着いていたあの境地は、とても大切なものだった気がする。

またいつかそこに行きたい。というか、これからは社会的な活動と同時に、そういう感覚を常に持ち続けていた方が良いのではないかという気がする。

とても大切な感覚な気がするので、ここに記しておこうと思う。

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